こんにちは。SHOです。
前回お話しました、こちらの記事の続きとして、外資系ディーラー(BMW)に就職出来た理由をお話します。
農業高校から自動車専門学校
まず、私の高校は農業系の高校で、自動車の分野とは全く関係ないものでした。食品関係の知識や料理が好きだったので通っていましたが、料理を仕事としてやるのが自分の中でイメージ出来なくて、あくまで趣味として続けて行きたいと思うようになっていました、
仕事として自分のやりたい事に正直になろうと思い、全くの畑違いの分野の世界ではありますが、昔から好きだった自動車の世界に足を踏み入れようと決意しました。
なぜBMWへ就職活動を始めたのか
専門学校は2年制で2級国家整備士の資格を取得します。なので2年生の時に就職活動が始まり、どこのメーカーに行くか迷っていましたが、国産一択でずっと考えていました。
日野自動車(大型トラック)の設計、HONDA、NISSAN、TOYOTA、分野問わず沢山見学会に参加して自分の行きたいメーカーを考えていました。
だけど、担任の先生に "お前には外車のディーラーで力を磨いてもらいたい" と念を押されていました。
担任の先生が昔、外資系ディーラーで勤めていた事もあって、そこで学べる事は国産にはない魅力や勉強になる事が沢山あると。
その時たまたま来ていた求人にBMWがあったので、見学会に行く事にしました。
現在はわかりませんが、当時は大人気求人だったので、他にも行きたいと言っている人を沢山みました。
見学会にも同じ専門学校の人も沢山いて、BMWの魅力、整備の楽しさ、辛さ、やりがい。
これまで色々見学会に参加してきましたが、何か自分の中でしっくりくるものがあり、人気の求人で誰しもが行ける所ではないのであれば、チャレンジしたい気持ちになっていました。
当然倍率も高かったですが、先生の期待に応えたかったので、BMWの試験を受けてみる事にしました。
BMW試験
国語や数学、英語といった一般常識で良い成績を残せる自信はなかったので、面接と論文で勝負しようと決めていました。
面接ではこの会社に入りたい理由や、国産ではなく外車のディーラーを選んだ理由、自分が、この会社に入った事で与える力を自信を持って伝えました。
論文ではテーマがいくつか用意されていて、その中から1つを選んで書いていくものでした。
その中で私が選んだのが "自分の名前について" というテーマを選びました。
私の本名が "翔" と書くので、羊に羽が生えた生き物を題材に自分のこれからの未来、可能性について大きくアピールしました。
母に何故自分の名前が翔なのか、どうゆう想いで付けてくれたのか。そうゆう所も織り交ぜながら印象を付ける工夫しました。
試験が無事に終わり、数日後に合格通知が届き、担任の先生が凄く喜んでくれてたのが今でも思い出すと泣きそうになります。
入社式のため、本社に着いて同期入社の人と話していたら、採用担当だった人がこちら来て、第一に私に、"あの論文本当に面白かった。筆記はぱっとしなかったけど、論文の面白さにこの子を採用させましょうと私から志願したんだよ" と言っていただきました。
自分が伝えたい事が、採用担当の方に上手く伝わったんだなって。
心の奥底から嬉しさが込み上げてきました。
自分の事を一番自分が理解してあげること
前回の記事でもお話させてもらったんですが、"どんな事だって自分にならできる"
この言葉をずっと胸に刻んでいました。
自分の強さ、弱さを一番知っているのは自分だから。
自分が勝負出来る場所で一番力を発揮する。
それに、自分の可能性を信じてくれる人がいる。
ネガティブな考え方を沢山してきたし、そこから這い上がってきて、ポジティブな考え方を覚えた。これが自分の強さだって事に気づけた事が、採用担当の方に響いたのかなって自分ではそう思っています。
捉え方は人様々かもしれません。
答えがわからない事も沢山ありますが、不正解はないと思っています。
だから、私は "不登校を経験した強さがあるから外資系ディーラーへ就職出来た"
こう思うようにしています。
これが私の強さであり、外資系ディーラーへ就職出来た理由です。
現在
実際働き始めてからの約3年。沢山勉強になったし、辛い事も沢山ありましたが、本当に仕事が楽しかったです。
自分の体調不良が続いてしまい、退職を選択しましたが、BMWでの経験は今の仕事にも活かされ、人間関係にも凄く良い影響を与えてくれています。
そして今後は現在のサラリーマンとしての仕事を続けながら、ブログ運営とセールスライティングの道を歩んで行きます。
今日までで読者数が50人を超え、本当に嬉しく思っています。
これからも感謝の気持ちを忘れずに突き進んでいきます。
それではまたの更新をお待ちください。
SHOブログのSHOより。