朝の通勤中の電車の中で、ふと、こんなことを考えていました。
『言い訳は良くない』とか『言い訳はやめなさい』って言葉。社会人として働いていれば良く聞くことだし、言われた経験もあります。
もちろん、今でも言い訳は良くないことだし、気をつけているつもりです。
ただ、とっさの判断の時に出てしまう言葉の中に、この『言い訳』が混じっていることに、後から気づいてしまったりするものです。
『あぁ〜、、、なんであんなこと言っちゃったんだろう』なんて思った時には時すでに遅し。
言い訳ってしたいって思ってしている人はいないと思うけど、言ってる側も聞いてる側も気持ちのいいものではないですよね。
そもそも言い訳とは何?
弁解(べんかい)/言い訳(いいわけ)/弁明(べんめい)/釈明(しゃくめい)
- [共通する意味]
★都合の悪いことや過失などをとりつくろうための説明をすること。
- [国語辞書で詳しい意味を調べる]
- [英]
an
; an
- [使い方]
- 〔弁解〕スル
▽弁解の余地がない
▽弁解につとめる
▽弁解無用- 〔言い訳〕スル
▽不参の言い訳をする
▽私も男だ、言い訳はしない- 〔弁明〕スル
▽当事者に弁明を要求する
▽弁明のしようもない- 〔釈明〕スル
▽事情について釈明する
▽釈明の機会を与える
- [使い分け]
- 【1】「弁解」は、失敗に対して、それにはやむをえぬ理由があるというような意で、自己を正当化するために説明すること。「言い訳」もほぼ同義だが、「弁解」より、話し言葉的。
- 【2】「弁明」は、自らの立場を明らかにするための説明をすることで、相手の、自分への誤解を解くことに重きがある。
- 【3】「釈明」は、相手の誤解や非難に対して、自らの立場の正当性を明らかにするための客観的説明をすることで、相手に了解を求めるために行うもの。
『都合の悪いことや過失などをとりつくろうための説明をすること』
まぁ、やっぱり良くはないですよね。
良くはないし、どうしても都合の悪い時に現れてくる存在ですからね。
ただ、何故言い訳をしてしまうかというと、『自分にとって都合が悪くない、安パイな居心地の良い環境(現状)にしたいから』
と、私の言い訳に対しての意味はこのように思ってます。
今現在の環境が凄く嫌だなぁって逃げ出したいと思うと、『言い訳』って出てくるのかなと思うんですよね。
じゃあ、その居心地の悪い環境に少しずつ慣れてきたらどうなる?
言い訳って環境の真逆の環境に慣れてきたらどうなるんだろう?
言い訳ばかりしてる人が、真逆の環境を覚えてしまったらどうなるんだろう?
真逆の環境が居心地の良い環境として覚えてしまったらどうなるんだろう?
言い訳を知ってるから、言い訳のない世界も知ってるはずなのではないか。
いや、むしろ絶対に知ってるはずなんです。
数年前、『人の怒らせ方』というDVDが販売していました。
タイトルからして、人を怒らせちゃダメでしょwって思って興味本位で見たことがあります。
これは、人を怒らせる方法を知っている人は、逆に人を怒らせない方法も知っているということになる。ということを謳っているDVDです。
だから、こうすると上司、友人は怒ります。ということを実演しながら見せてくれるものなんですが、凄く納得するし、自分の上司をわざわざ怒らせる必要もなく、こうすれば上司は怒るから、こうすれば良いんだって判断に繋げることが出来ます。
”知っている”は自分にとっての武器でもある
つまり、言い訳をしていることに気づいている人=言い訳を知っている人でもあるということ。
言い訳に気づいていなければ宝の持ち腐れと大げさに表現してみますが、気づいていることに大きな意味があります。
最初から言い訳を全くしたことがない人っておそらくないといないと思います。
言い訳をしたことが一度でもあるから、言い訳を知り、結果言い訳をしないようにして自分の人生を豊かに変えることができるのではないかと考えています。
相手が存在する言い訳では、相手に対しての信頼関係に繋がり。
自分自身の言い訳は、自分の価値に対しての大きさに繋がる。
言い訳一つで相手や自分自身の価値だったり信頼関係が上がったり下がったりもする大切な言葉だなと。
今朝の通勤電車内でこんなことを考えながら出社しました。
知らない人がたくさん密集している空間だといろんなこと考えちゃいますね。
それでは、本日もご覧いただきありがとうございました。
SHOブログのSHOより。